動もしない。何を思ッているのか? 母の端《はし》なく云ッた一言《ひとこと》の答を求めて求め得んのか? 夢のように、過ぎこした昔へ心を引戻して、これまで文三如き者に拘《かかずら》ッて、良縁をも求めず、徒《いたずら》に歳月《としつき》を送ッたを惜しい事に思ッているのか? 或は母の言葉の放ッた光りに我身を※[#「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]《めぐ》る暗黒《やみ》を破られ、始めて今が浮沈の潮界《しおざかい》、一生の運の定まる時と心附いたのか? 抑《そもそも》また狂い出す妄想《ぼうそう》につれられて、我知らず心を華やかな、娯《たの》しい未来へ走らし、望みを事実にし、現《うつつ》に夢を見て、嬉しく、畏《おそ》ろしい思をしているのか? 恍惚《うっとり》とした顔に映る内の想《おもい》が無いから、何を思ッていることかすこしも解らないが、とにかく良《やや》久《しば》らくの間は身動をもしなかッた、そのままで十分ばかり経ったころ、忽然《こつぜん》として眼が嬉しそうに光り出すかと思う間に、見る見る耐《こら》えようにも耐え切れなさそうな微笑が口頭《くちもと》に浮び出て、頬《ほお》さえいつし
前へ 次へ
全294ページ中269ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング