ぎ》をしたように、恰当《そぐ》わぬ所が有ッて、落着《おちつき》が悪かッたろう。悪ければ良くしようというが人の常情で有ッてみれば、仮令《たと》え免職、窮愁、耻辱《ちじょく》などという外部の激因が無いにしても、お勢の文三に対する感情は早晩一変せずにはいなかッたろう。
 お勢は実に軽躁《かるはずみ》で有る。けれども、軽躁で無い者が軽躁な事を為《し》ようとて為得ぬが如く、軽躁な者は軽躁な事を為まいと思ッたとて、なかなか為《し》ずにはおられまい。軽躁と自《みずか》ら認めている者すら、尚おこうしたもので有ッてみれば、況《ま》してお勢の如き、まだ我をも知らぬ、罪の無い処女が己《おのれ》の気質に克《か》ち得ぬとて、強《あなが》ちにそれを無理とも云えぬ。若《も》しお勢を深く尤《とが》む可《べ》き者なら、較《くら》べて云えば、稍々《やや》学問あり智識ありながら、尚お軽躁《けいそう》を免がれぬ、譬《たと》えば、文三の如き者は(はれやれ、文三の如き者は?)何としたもので有ろう?
 人事《ひとごと》で無い。お勢も悪るかッたが、文三もよろしく無かッた。「人の頭の蠅《はえ》を逐《お》うよりは先ず我頭のを逐え」――聞
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