身というものは意久地の無い者で、腕は真陰流に固ッていても鋤鍬《すきくわ》は使えず、口は左様《さよう》然《しか》らばと重く成ッていて見れば急にはヘイの音《ね》も出されず、といって天秤《てんびん》を肩へ当るも家名の汚《けが》れ外聞が見ッとも宜《よ》くないというので、足を擂木《すりこぎ》に駈廻《かけまわ》ッて辛《から》くして静岡藩の史生に住込み、ヤレ嬉《うれ》しやと言ッたところが腰弁当の境界《きょうがい》、なかなか浮み上る程には参らぬが、デモ感心には多《おおく》も無い資本を吝《おし》まずして一子文三に学問を仕込む。まず朝|勃然《むっくり》起る、弁当を背負《しょ》わせて学校へ出《だし》て遣《や》る、帰ッて来る、直ちに傍近の私塾へ通わせると言うのだから、あけしい間がない。とても余所外《よそほか》の小供では続かないが、其処《そこ》は文三、性質が内端《うちば》だけに学問には向くと見えて、余りしぶりもせずして出て参る。尤《もっと》も途《みち》に蜻蛉《とんぼ》を追う友を見てフト気まぐれて遊び暮らし、悄然《しょんぼり》として裏口から立戻ッて来る事も無いではないが、それは邂逅《たまさか》の事で、ママ大方は勉
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