か、ウー」ト御意遊ばすと、昇も「左様で御座います、チト妙な貌をしております」ト申上げ、夫人が傍《かたわら》から「それでも狆はこんなに貌のしゃくんだ方が好いのだと申ます」ト仰《おっ》しゃると、昇も「成程|夫人《おくさま》の仰《おおせ》の通り狆はこんなに貌のしゃくんだ方が好いのだと申ます」ト申上げて、御愛嬌にチョイト狆の頭を撫《な》でて見たとか。しかし永い間には取外《とりはず》しも有ると見えて、曾て何かの事で些《すこ》しばかり課長殿の御機嫌を損ねた時は、昇はその当坐|一両日《いちりょうにち》の間、胸が閉塞《つかえ》て食事が進まなかッたとかいうが、程なく夫人のお癪《しゃく》から揉《もみ》やわらげて、殿さまの御肝癖も療治し、果は自分の胸の痞《つかえ》も押さげたという、なかなか小腕のきく男で。
 下宿が眼と鼻の間の所為《せい》か、昇は屡々《しばしば》文三の所へ遊びに来る。お勢が帰宅してからは、一段足繁くなって、三日にあげず遊びに来る。初とは違い、近頃は文三に対しては気に障わる事|而已《のみ》を言散らすか、さもなければ同僚の非を数えて「乃公《おれ》は」との自負自讃、「人間|地道《じみち》に事をするようじゃ役に立たぬ」などと勝手な熱を吐散らすが、それは邂逅《たまさか》の事で、大方は下坐敷でお政を相手に無駄《むだ》口を叩《たた》き、或る時は花合せとかいうものを手中に弄《ろう》して、如何《いかが》な真似をした上句《あげく》、寿司《すし》などを取寄せて奢散《おごりち》らす。勿論《もちろん》お政には殊《こと》の外気に入ッてチヤホヤされる、気に入り過ぎはしないかと岡焼をする者も有るが、まさか四十|面《づら》をさげて……お勢には……シッ跫音《あしおと》がする、昇ではないか……当ッた。
「トキニ内海はどうも飛だ事で、実に気の毒な、今も往《いっ》て慰めて来たが塞切《ふさぎき》ッている」
「放擲《うっちゃっ》てお置きなさいヨ。身から出た錆《さび》だもの、些《ちっ》とは塞ぐも好《いい》のサ」
「そう言えばそんなような者だが、しかし何しろ気の毒だ。こういう事になろうと疾《はや》くから知ていたらまたどうにか仕様も有たろうけれども、何しても……」
「何とか言ッてましたろうネ」
「何を」
「私の事をサ」
「イヤ何とも」
「フム貴君《あなた》も頼もしくないネ、あんな者《もん》を朋友《ともだち》にして同類《ぐる
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