「チョッ解らないネー、今までの文三と文三が違います。お前にゃア免職になった事が解らないかエ」
「オヤ免職に成ッてどうしたの、文さんが人を見ると咬付《かみつ》きでもする様になったの、ヘーそう」
「な、な、な、なんだと、何とお言いだ……コレお勢、それはお前あんまりと言うもんだ、余《あんま》り親をば、ば、ば、馬鹿にすると言うもんだ」
「ば、ば、ば、馬鹿にはしません。ヘー私は条理のある所を主張するので御座います」
 ト唇を反らしていうを聞くや否《いな》や、お政は忽《たちま》ち顔色を変えて手に持ッていた長羅宇《ながらう》の烟管《きせる》を席《たたみ》へ放り付け、
「エーくやしい」
 ト歯を喰切《くいしば》ッて口惜《くちお》しがる。その顔を横眼でジロリと見たばかりで、お勢はすまアし切ッて座舗を立出でてしまッた。
 しかしながらこれを親子|喧嘩《げんか》と思うと女丈夫の本意に負《そむ》く。どうしてどうして親子喧嘩……そんな不道徳な者でない。これはこれ辱《かたじけ》なくも難有《ありがた》くも日本文明の一原素ともなるべき新主義と時代|後《おく》れの旧主義と衝突をするところ、よくお眼を止めて御覧あられましょう。
 その夜文三は断念《おもいき》ッて叔母に詫言をもうしたが、ヤ梃《てこ》ずったの梃ずらないのと言てそれはそれは……まずお政が今朝言ッた厭味に輪を懸け枝を添えて百|万陀羅《まんだら》并《なら》べ立てた上句《あげく》、お勢の親を麁末《そまつ》にするのまでを文三の罪にして難題を言懸ける。されども文三が死だ気になって諸事お容《ゆ》るされてで持切ッているに、お政もスコだれの拍子抜けという光景《きみ》で厭味の音締《ねじめ》をするように成ッたから、まず好しと思う間もなく、不図又文三の言葉|尻《じり》から燃出して以前にも立優《たちまさ》る火勢、黒烟《くろけぶり》焔々《えんえん》と顔に漲《みなぎ》るところを見てはとても鎮火しそうも無かッたのも、文三が済《すみ》ませぬの水を斟尽《くみつく》して澆《そそ》ぎかけたので次第々々に下火になって、プスプス燻《いぶり》になって、遂に不精々々に鎮火《しめ》る。文三は吻《ほっ》と一息、寸善|尺魔《せきま》の世の習い、またもや御意の変らぬ内にと、挨拶《あいさつ》も匆々《そこそこ》に起ッて坐敷を立出で二三歩すると、後《うしろ》の方《かた》でお政がさも聞えよがしの独
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