下さるとは知らずして、貴嬢《あなた》に向ッて匿立《かくしだ》てをしたのが今更|耻《はず》かしい、アア耻かしい。モウこうなれば打散《ぶちま》けてお話してしまおう、実はこれから下宿をしようかと思ッていました」
「下宿を」
「サ為《し》ようかと思ッていたんだが、しかしもう出来ない。他人同様の私をかばって実の母親さんと議論をなすった、その貴嬢の御信切を聞ちゃ、しろと仰しゃッてももう出来ない……がそうすると、母親さんにお詫《わび》を申さなければならないが……」
「打遣《うっちゃ》ッてお置きなさいヨ。あんな教育の無い者が何と言ッたッて好う御座んさアネ」
「イヤそうでない、それでは済まない、是非お詫を申そう。がしかしお勢さん、お志は嬉しいが、もう母親さんと議論をすることは罷《や》めて下さい、私の為めに貴嬢を不孝の子にしては済まないから」
「お勢」
ト下坐舗の方でお政の呼ぶ声がする。
「アラ母親さんが呼んでお出でなさる」
「ナアニ用も何にも有るんじゃアないの」
「お勢」
「マア返事を為《な》さいヨ」
「お勢お勢」
「ハアイ……チョッ五月蠅《うるさい》こと」
ト起揚《たちあが》る。
「今話した事は皆《みんな》母親さんにはコレですよ」
ト文三が手頭《てくび》を振ッて見せる。お勢は唯|点頭《うなずい》た而已《のみ》で言葉はなく、二階を降りて奥坐舗へ参ッた。
先程より疳癪《かんしゃく》の眥《まなじり》を釣《つ》り上げて手ぐすね引て待ッていた母親のお政は、お勢の顔を見るより早く、込み上げて来る小言を一時にさらけ出しての大怒鳴《おおがなり》。
「お……お……お勢、あれ程呼ぶのがお前には聞えなかッたかエ、聾者《つんぼ》じゃアあるまいし、人《しと》が呼んだら好加減に返事をするがいい……全躰マア何の用が有ッて二階へお出でだ、エ、何の用が有ッてだエ」
ト逆上《のぼせ》あがッて極《き》め付けても、此方《こなた》は一向平気なもので、
「何《な》にも用は有りゃアしないけれども……」
「用がないのに何故お出でだ。先刻《さっき》あれほど、もうこれからは今までのようにヘタクタ二階へ往ッてはならないと言ッたのがお前にはまだ解らないかエ。さかりの附た犬じゃアあるまいし、間《ま》がな透《すき》がな文三の傍《そば》へばッかし往きたがるよ」
「今までは二階へ往ッても善くッてこれからは悪いなんぞッて、そんな不条理な
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