何《いか》にしても腹に据《す》えかねる。何故《なぜ》意久地がないとて叔母がああ嘲《あざけ》り辱《はずかし》めたか、其処《そこ》まで思い廻らす暇がない、唯もう腸《はらわた》が断《ちぎ》れるばかりに悔しく口惜しく、恨めしく腹立たしい。文三は憤然として「ヨシ先がその気なら此方《こっち》もその気だ、畢竟《ひっきょう》姨《おば》と思えばこそ甥と思えばこそ、言たい放題をも言わして置くのだ。ナニ縁を断《き》ッてしまえば赤の他人、他人に遠慮も糸瓜《へちま》もいらぬ事だ……糞ッ、面宛《つらあて》半分に下宿をしてくれよう……」ト肚《はら》の裏《うち》で独言《ひとりごと》をいうと、不思議やお勢の姿が目前にちらつく。「ハテそうしては彼娘《あれ》が……」ト文三は少しく萎《しお》れたが……不図又叔母の悪々《にくにく》しい者面《しゃっつら》を憶出《おもいいだ》して、又|憤然《やっき》となり、「糞ッ止めても止まらぬぞ」ト何時《いつ》にない断念《おもいきり》のよさ。こう腹を定《き》めて見ると、サアモウ一刻も居るのが厭になる、借住居かとおもえば子舎《へや》が気に喰わなくなる、我物でないかと思えば縁《ふち》の欠けた火入まで気色《きしょく》に障わる。時計を見れば早十一時、今から荷物を取旁付《とりかたづ》けて是非とも今日中には下宿を為よう、と思えば心までいそがれ、「糞ッ止めても止まらぬぞ」ト口癖のように言いながら、熱気《やっき》となって其処らを取旁付けにかかり、何か探そうとして机の抽斗《ひきだし》を開け、中《うち》に納《い》れてあッた年頃五十の上をゆく白髪たる老婦の写真にフト眼を注《と》めて、我にもなく熟々《つらつら》と眺《なが》め入ッた。これは老母の写真で。御存知の通り文三は生得《しょうとく》の親おもい、母親の写真を視て、我が辛苦を甞《な》め艱難《かんなん》を忍びながら定めない浮世に存生《なが》らえていたる、自分|一個《ひとり》の為《ため》而已《のみ》でない事を想出《おもいいだ》し、我と我を叱《しか》りもし又励しもする事何時も何時も。今も今母親の写真を見て文三は日頃|喰付《たべつ》けの感情をおこし覚えずも悄然《しょうぜん》と萎れ返ッたが、又|悪々《にくにく》しい叔母の者面《しゃっつら》を憶出して又|熱気《やっき》となり、拳《こぶし》を握り歯を喰切《くいしば》り、「糞ッ止めて止まらぬぞ」ト独言《ひとりごと》
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