、御免になるもいいけれども、面目ないとも思わないで、出来た事なら仕様が有りませぬと済まアしてお出でなさる……アアアアもういうまいいうまい、幾程《いくら》言ッても他人にしてお出《いで》じゃア無駄《むだ》だ」
 ト厭味文句を並べて始終肝癪の思入《おもいいれ》。暫らく有ッて、
「それもそうだが、全躰その位なら昨夕《ゆうべ》の中《うち》に、実はこれこれで御免になりましたと一言《しとこと》位言ッたッてよさそうなもんだ。お話しでないもんだから此方《こっち》はそんな事とは夢にも知らず、お弁当のお菜《かず》も毎日おんなじ物《もん》ばッかりでもお倦《あ》きだろう、アアして勉強してお勤にお出の事たからその位な事は此方で気を附けて上げなくッちゃアならないと思ッて、今日のお弁当のお菜《かず》は玉子焼にして上げようと思ッても鍋には出来ず、余儀所《よんどころ》ないから私が面倒な思いをして拵《こし》らえて附けましたアネ……アアアア偶《たま》に人《しと》が気を利《き》かせればこんな事《こ》ッた……しかし飛んだ余計なお世話でしたヨネー、誰れも頼みもしないのに……鍋」
「ハイ」
「文さんのお弁当は打開《ぶちあ》けておしまい」
 お鍋|女郎《じょろう》は襖《ふすま》の彼方《あなた》から横幅《よこはば》の広い顔を差出《さしいだ》して、「ヘー」とモッケな顔付。
「アノネ、内の文さんは昨日《きのう》御免にお成りだッサ」
「ヘーそれは」
「どうしても働のある人《しと》は、フフン違ッたもんだヨ」
 ト半《なかば》まで言切らぬ内、文三は血相を変てツと身を起し、ツカツカと座舗《ざしき》を立出でて我|子舎《へや》へ戻り、机の前にブッ座ッて歯を噛切《くいしば》ッての悔涙《くやしなみだ》、ハラハラと膝へ濫《こぼ》した。暫《しば》らく有ッて文三は、はふり落ちる涙の雨をハンカチーフで拭止《ぬぐいと》めた……がさて拭ッても取れないのは沸返える胸のムシャクシャ、熟々《つらつら》と思廻《おもいめぐ》らせば廻らすほど、悔しくも又|口惜《くちお》しくなる。免職と聞くより早くガラリと変る人の心のさもしさは、道理《もっとも》らしい愚痴の蓋《ふた》で隠蔽《かく》そうとしても看透《みす》かされる。とはいえそれは忍ぼうと思えば忍びもなろうが、面《まの》あたりに意久地なしと言わぬばかりのからみ文句、人を見括《みくび》ッた一言《いちごん》ばかりは、如
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