「アハハハ其奴《そいつ》は大笑いだ……しかし可笑しく思ッているのは鍋ばかりじゃア有りますまい、必《きっ》と母親《おっか》さんも……」
「母ですか、母はどうせ下等の人物ですから始終可笑しな事を言ッちゃアからかいますのサ。それでもネ、そのたんびに私が辱《はずか》しめ辱しめ為《し》い為いしたら、あれでも些とは耻《は》じたと見えてネ、この頃じゃアそんなに言わなくなりましたよ」
「ヘーからかう、どんな事を仰しゃッて」
「アノーなんですッて、そんなに親しくする位なら寧《むし》ろ貴君と……(すこしもじもじして言かねて)結婚してしまえッて……」
 ト聞くと等しく文三は駭然《ぎょっ》としてお勢の顔を目守《みつめ》る。されど此方《こなた》は平気の躰《てい》で
「ですがネ、教育のない者ばかりを責める訳にもいけませんヨネー。私の朋友《ほうゆう》なんぞは、教育の有ると言う程有りゃアしませんがネ、それでもマア普通の教育は享《う》けているんですよ、それでいて貴君、西洋主義の解るものは、二十五人の内に僅《たった》四人《よったり》しかないの。その四人《よったり》もネ、塾にいるうちだけで、外《ほか》へ出てからはネ、口程にもなく両親に圧制せられて、みんなお嫁に往《い》ッたりお婿《むこ》を取ッたりしてしまいましたの。だから今までこんな事を言ッてるものは私ばッかりだとおもうと、何だか心細《こころぼそく》ッて心細ッてなりません。でしたがネ、この頃は貴君という親友が出来たから、アノー大変気丈夫になりましたわ」
 文三はチョイと一礼して
「お世辞にもしろ嬉《うれ》しい」
「アラお世辞じゃア有りませんよ、真実《ほんとう》ですよ」
「真実なら尚お嬉しいが、しかし私にゃア貴嬢《あなた》と親友の交際は到底出来ない」
「オヤ何故ですエ、何故親友の交際が出来ませんエ」
「何故といえば、私には貴嬢が解からず、また貴嬢には私が解からないから、どうも親友の交際は……」
「そうですか、それでも私には貴君はよく解ッている積りですよ。貴君の学識が有ッて、品行が方正で、親に孝行で……」
「だから貴嬢には私が解らないというのです。貴嬢は私を親に孝行だと仰しゃるけれども、孝行じゃア有りません。私には……親より……大切な者があります……」
 ト吃《どもり》ながら言ッて文三は差俯向《さしうつむ》いてしまう。お勢は不思議そうに文三の容子を眺《な
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