の日に瓊葩綉葉《けいはしゅうよう》の間、和気《かき》香風の中《うち》に、臥榻《がとう》を据えてその上に臥《ね》そべり、次第に遠《とおざか》り往く虻《あぶ》の声を聞きながら、眠《ねぶ》るでもなく眠らぬでもなく、唯ウトウトとしているが如く、何ともかとも言様なく愉快《こころよか》ッたが、虫|奴《め》は何時の間にか太く逞《たくま》しく成ッて、「何したのじゃアないか」ト疑ッた頃には、既に「添《そい》たいの蛇《じゃ》」という蛇《へび》に成ッて這廻《はいまわ》ッていた……寧《むし》ろ難面《つれな》くされたならば、食すべき「たのみ」の餌《えさ》がないから、蛇奴も餓死《うえじに》に死んでしまいもしようが、憖《なまじい》に卯《う》の花くだし五月雨《さみだれ》のふるでもなくふらぬでもなく、生殺《なまごろ》しにされるだけに蛇奴も苦しさに堪え難《か》ねてか、のたうち廻ッて腸《はらわた》を噛断《かみちぎ》る……初の快さに引替えて、文三も今は苦しくなッて来たから、窃《ひそ》かに叔母の顔色《がんしょく》を伺ッて見れば、気の所為《せい》か粋《すい》を通して見て見ぬ風をしているらしい。「若《も》しそうなればもう叔母の許《ゆるし》を受けたも同前……チョッ寧《いっ》そ打附《うちつ》けに……」ト思ッた事は屡々《しばしば》有ッたが、「イヤイヤ滅多な事を言出して取着かれぬ返答をされては」ト思い直してジット意馬《いば》の絆《たづな》を引緊《ひきし》め、藻《も》に住む虫の我から苦んでいた……これからが肝腎|要《かなめ》、回を改めて伺いましょう。

     第三回 余程|風変《ふうがわり》な恋の初峯入 下

 今年の仲の夏、或一|夜《や》、文三が散歩より帰ッて見れば、叔母のお政は夕暮より所用あッて出たまま未《ま》だ帰宅せず、下女のお鍋《なべ》も入湯にでも参ッたものか、これも留守、唯《ただ》お勢の子舎《へや》に而已《のみ》光明《あかり》が射《さ》している。文三|初《はじめ》は何心なく二階の梯子段《はしごだん》を二段三段|登《あが》ッたが、不図立止まり、何か切《しき》りに考えながら、一段降りてまた立止まり、また考えてまた降りる……俄《にわ》かに気を取直して、将《まさ》に再び二階へ登らんとする時、忽《たちま》ちお勢の子舎の中《うち》に声がして、
「誰方《どなた》」
 トいう。
「私《わたくし》」
 ト返答をして文三は肩を
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