で》に戻る。両人とも顔を合わせれば、只《ただ》戯《たわ》ぶれるばかり、落着いて談話《はなし》などした事更に無し。それも、お勢に云わせれば、昇が宜しく無いので、此方《こちら》で真面目《まじめ》にしているものを、とぼけた顔をし、剽軽《ひょうきん》な事を云い、軽く、気無しに、調子を浮かせてあやなしかける。それ故《ゆえ》、念に掛けて笑うまいとはしながら、おかしくて、おかしくて、どうも堪《たま》らず、唇を噛締《かみし》め、眉《まゆ》を釣上《つりあ》げ、真赤になッても耐《こら》え切れず、つい吹出して大事の大事の品格を落してしまう。果は、何を云われんでも、顔さえ見れば、可笑《おか》しくなる。「本当に本田さんはいけないよ、人を笑わしてばかりいて」。お勢は絶えず昇を憎がッた。
 こうお勢に対《むか》うと、昇は戯《たわぶ》れ散らすが、お政には無遠慮といううちにも、何処《どこ》かしっとりした所が有ッて、戯言《たわごと》を云わせれば、云いもするが、また落着く時には落着いて、随分真面目な談話《はなし》もする。勿論《もちろん》、真面目な談話と云ッたところで、金利公債の話、家屋敷の売買《うりかい》の噂《うわさ》、さもなくば、借家人が更らに家賃《たなちん》を納《い》れぬ苦情――皆つまらぬ事ばかり。一つとしてお勢の耳には面白くも聞こえないが、それでいて、両人《ふたり》の話している所を聞けば、何か、談話《はなし》の筋の外に、男女交際、婦人|矯風《きょうふう》の議論よりは、遥《はるか》に優《まさ》りて面白い所が有ッて、それを眼顔《めかお》で話合ッて娯《たの》しんでいるらしいが、お勢にはさっぱり解らん。が、余程面白いと見えて、その様な談話《はなし》が始まると、お政は勿論、昇までが平生の愛嬌《あいきょう》は何処へやら遣《や》ッて、お勢の方は見向もせず、一心になッて、或《あるい》は公債を書替える極《ごく》簡略な法、或は誰も知ッている銀行の内幕、またはお得意《はこ》の課長の生計の大した事を喋々《ちょうちょう》と話す。お勢は退屈で退屈で、欠《あく》びばかり出る。起上《たちあが》ッて部屋へ帰ろうとは思いながら、つい起《たち》そそくれて潮合《しおあい》を失い、まじりまじり思慮の無い顔をして面白《おもしろく》もない談話《はなし》を聞いているうちに、いつしか眼が曇り両人《ふたり》の顔がかすんで話声もやや遠く籠《こも》ッて
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