。己れの打解けた心で推測《おしはか》るゆえ、さほどに難事とも思えない。もウ些《すこ》しの辛抱、と、哀《かなし》む可《べ》し、文三は眠らでとも知らず夢を見ていた。
機会《おり》を窺《み》ている二日目の朝、見知り越しの金貸が来てお政を連出して行く。時機到来……今日こそは、と領《えり》を延ばしているとも知らずして帰ッて来たか、下女部屋の入口で「慈母《おッか》さんは?」と優しい声。
その声を聞くと均《ひと》しく、文三|起上《たちあが》りは起上ッたが、据《す》えた胸も率《いざ》となれば躍る。前へ一歩《ひとあし》、後《うしろ》へ一歩《ひとあし》、躊躇《ためらい》ながら二階を降りて、ふいと縁を廻わッて見れば、部屋にとばかり思ッていたお勢が入口に柱に靠着《もた》れて、空を向上《みあ》げて物思い顔……はッと思ッて、文三立ち止まッた。お勢も何心なく振り反ッてみて、急に顔を曇らせる……ツと部屋へ入ッて跡ぴッしゃり。障子は柱と額合《はちあ》わせをして、二三寸跳ね返ッた。
跳ね返ッた障子を文三は恨めしそうに凝視《みつ》めていたが、やがて思い切りわるく二歩三歩《ふたあしみあし》。わななく手頭《てさき》を引手へ懸けて、胸と共に障子を躍らしながら開けてみれば、お勢は机の前に端坐《かしこま》ッて、一心に壁と睨《にら》め競《くら》。
「お勢さん」
と瀬蹈《せぶみ》をしてみれば、愛度気《あどけ》なく返答をしない。危きに慣れて縮めた胆《きも》を少し太くして、また、
「お勢さん」
また返答をしない。
この分なら、と文三は取越して安心をして、莞爾々々《にこにこ》しながら部屋へ入り、好き程の所に坐を占めて、
「少しお噺《はなし》が……」
この時になッてお勢は初めて、首の筋でも蹙《つま》ッたように、徐々《そろそろ》顔を此方《こちら》へ向け、可愛《かわい》らしい眼に角を立てて、文三の様子を見ながら、何か云いたそうな口付をした。
今打とうと振上げた拳《こぶし》の下に立ッたように、文三はひやりとして、思わず一生懸命にお勢の顔を凝視《みつ》めた。けれども、お勢は何とも云わず、また向うを向いてしまッたので、やや顔を霽《は》らして、極《きま》りわるそうに莞爾々々《にこにこ》しながら、
「この間は誠にどう……」
もと云い切らぬうち、つと起き上ッたお勢の体が……不意を打たれて、ぎょッとする、女帯が、友禅《ゆうぜ
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