者《もん》でも家大人《おとッさん》の血統《ちすじ》だから今と成てかれこれ言出しちゃ面倒臭《めんどくさ》いと思ッて、此方《こッち》から折れて出て遣《や》れば附上ッて、そんな我儘《わがまま》勝手を云う……モウ勘弁がならない」
ト云ッて些し考えていたが、やがてまた娘の方を向いて一段声を低めて、
「実はネ、お前にはまだ内々でいたけれども、家大人《おとッさん》はネ、行々はお前を文三に配合《めあわ》せる積りでお出でなさるんだが、お前は……厭だろうネ」
「厭サ厭サ、誰があんな奴に……」
「必《きっ》とそうかえ」
「誰があんな奴《や》つに……乞食《こじき》したッてあんな奴のお嫁に成るもんか」
「その一言《いちごん》をお忘れでないよ。お前が弥々《いよいよ》その気なら慈母さんも了簡が有るから」
「慈母さん、今日から私を下宿さしておくんなさいな」
「なんだネこの娘《こ》は、藪《やぶ》から棒に」
「だッて私ア、モウ文さんの顔を見るのも厭だもの」
「そんな事言ッたッて仕様が無いやアネ。マアもう些と辛抱してお出で、その内にゃ慈母さんが宜いようにして上るから」
この時はお勢は黙していた、何か考えているようで。
「これからは真個《ほんとう》に慈母さんの言事を聴いて、モウ余《あんま》り文三と口なんぞお聞きでないよ」
「誰が聞てやるもんか」
「文三ばかりじゃ無い、本田さんにだッてもそうだよ。あんなに昨夜《ゆうべ》のように遠慮の無い事をお言いでないよ。ソリャお前の事だからまさかそんな……不埒《ふらち》なんぞはお為《し》じゃ有るまいけれども、今が嫁入前で一番大事な時だから」
「慈母さんまでそんな事を云ッて……そんならモウこれから本田さんが来たッて口もきかないから宜い」
「口を聞くなじゃ無いが、唯|昨夜《ゆうべ》のように……」
「イイエイイエ、モウ口も聞かない聞かない」
「そうじゃ無いと云えばネ」
「イイエ、モウ口も聞かない聞かない」
ト頭振《かぶ》りを振る娘の顔を視て、母親は、
「全《まる》で狂気《きちがい》だ。チョイと人が一言いえば直《すぐ》に腹を立《たっ》てしまッて、手も附けられやアしない」
ト云い捨てて起上《たちあが》ッて、部屋を出てしまッた。
[#改丁]
第三編
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浮雲第三篇ハ都合に依ッて此雜誌へ載せる事にしました。
固《も》と此小説ハつまらぬ事を種に
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