ちょうど文三の真向うに八字の浪を額に寄せ、忙《いそがわ》しく眼をしばたたきながら間断《たゆみ》もなく算盤を弾《はじ》いていた年配五十前後の老人が、不図手を止《とど》めて珠へ指ざしをしながら、「エー六五七十の二……でもなしとエー六五」ト天下の安危この一挙に在りと言ッた様な、さも心配そうな顔を振揚げて、その癖口をアンゴリ開いて、眼鏡《めがね》越しにジット文三の顔を見守《みつ》め、「ウー八十の二か」ト一越《いちおつ》調子高な声を振立ててまた一心不乱に弾き出す。余りの可笑《おか》しさに堪えかねて、文三は覚えずも微笑したが、考えて見れば笑う我と笑われる人と余り懸隔のない身の上。アア曾《かつ》て身の油に根気の心《しん》を浸し、眠い眼を睡《ね》ずして得た学力《がくりき》を、こんなはかない馬鹿気た事に使うのかと、思えば悲しく情なく、我になくホット太息《といき》を吐《つ》いて、暫らくは唯|茫然《ぼうぜん》としてつまらぬ者でいたが、イヤイヤこれではならぬと心を取直して、その日より事務に取懸《とりかく》る。当座四五日は例の老人の顔を見る毎に嘆息|而已《のみ》していたが、それも向う境界《きょうがい》に移る習いとかで、日を経る随《まま》に苦にもならなく成る。この月より国許の老母へは月々仕送をすれば母親も悦《よろこ》び、叔父へは月賦で借金|済《な》しをすれば叔母も機嫌を直す。その年の暮に一等進んで本官になり、昨年の暑中には久々にて帰省するなど、いろいろ喜ばしき事が重なれば、眉《まゆ》の皺《しわ》も自ら伸び、どうやら寿命も長くなったように思われる。ここにチト艶《なまめ》いた一条のお噺《はなし》があるが、これを記《しる》す前に、チョッピリ孫兵衛の長女お勢の小伝を伺いましょう。
お勢の生立《おいたち》の有様、生来《しょうらい》子煩悩《こぼんのう》の孫兵衛を父に持ち、他人には薄情でも我子には眼の無いお政を母に持ッた事ゆえ、幼少の折より挿頭《かざし》の花、衣《きぬ》の裏の玉と撫《な》で愛《いつくし》まれ、何でもかでも言成《いいなり》次第にオイソレと仕付けられたのが癖と成ッて、首尾よくやんちゃ娘に成果《なりおお》せた。紐解《ひもとき》の賀の済《すん》だ頃より、父親の望みで小学校へ通い、母親の好みで清元《きよもと》の稽古《けいこ》、生得《うまれえ》て才《さい》溌《はじけ》の一徳には生覚《なまおぼ》えながら
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