より余所《よそ》外《ほか》のおぼッちゃま方とは違い、親から仕送りなどという洒落《しゃれ》はないから、無駄遣《むだづか》いとては一銭もならず、また為《し》ようとも思わずして、唯《ただ》一心に、便《たより》のない一人の母親の心を安めねばならぬ、世話になった叔父へも報恩《おんがえし》をせねばならぬ、と思う心より、寸陰を惜んでの刻苦勉強に学業の進みも著るしく、何時の試験にも一番と言ッて二番とは下《さが》らぬ程ゆえ、得難い書生と教員も感心する。サアそうなると傍《はた》が喧《やか》ましい。放蕩《ほうとう》と懶惰《らんだ》とを経緯《たてぬき》の糸にして織上《おりあがっ》たおぼッちゃま方が、不負魂《まけじだましい》の妬《ねた》み嫉《そね》みからおむずかり遊ばすけれども、文三はそれ等の事には頓着《とんじゃく》せず、独りネビッチョ除《の》け物と成ッて朝夕勉強|三昧《ざんまい》に歳月を消磨する内、遂に多年|蛍雪《けいせつ》の功が現われて一片の卒業証書を懐《いだ》き、再び叔父の家を東道《あるじ》とするように成ッたからまず一安心と、それより手を替え品を替え種々《さまざま》にして仕官の口を探すが、さて探すとなると無いもので、心ならずも小半年ばかり燻《くすぶ》ッている。その間始終叔母にいぶされる辛らさ苦しさ、初《はじめ》は叔母も自分ながらけぶそうな貌《かお》をして、やわやわ吹付けていたからまず宜《よか》ッたが、次第にいぶし方に念が入ッて来て、果は生松葉《なままつば》に蕃椒《とうがらし》をくべるように成ッたから、そのけぶいことこの上なし。文三も暫らくは鼻をも潰《つぶ》していたれ、竟《つい》には余りのけぶさに堪え兼て噎返《むせかえ》る胸を押鎮《おししず》めかねた事も有ッたが、イヤイヤこれも自分が不甲斐《ふがい》ないからだと、思い返してジット辛抱。そういうところゆえ、その後或人の周旋で某省の准《じゅん》判任御用係となッた時は天へも昇る心地がされて、ホッと一息|吐《つ》きは吐いたが、始て出勤した時は異《おつ》な感じがした。まず取調物を受取って我坐になおり、さて落着て居廻りを視回《みまわ》すと、仔細《しさい》らしく頸《くび》を傾《かたぶ》けて書物《かきもの》をするもの、蚤取眼《のみとりまなこ》になって校合《きょうごう》をするもの、筆を啣《くわ》えて忙《いそがわ》し気に帳簿を繰るものと種々さまざま有る中に、
前へ
次へ
全147ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング