》て当今では些とは資本も出来、地面をも買い小金をも貸付けて、家を東京に持ちながら、その身は浜のさる茶店《さてん》の支配人をしている事なれば、左而已《さのみ》富貴《ふっき》と言うでもないが、まず融通《ゆとり》のある活計《くらし》。留守を守る女房のお政《まさ》は、お摩《さす》りからずるずるの後配《のちぞい》、歴《れっき》とした士族の娘と自分ではいうが……チト考え物。しかしとにかく如才のない、世辞のよい、地代から貸金の催促まで家事一切|独《ひとり》で切って廻る程あって、万事に抜目のない婦人。疵瑕《きず》と言ッては唯《ただ》大酒飲みで、浮気で、しかも針を持つ事がキツイ嫌《きら》いというばかり。さしたる事もないが、人事はよく言いたがらぬが世の習い、「あの婦人《おんな》は裾張蛇《すそっぱりじゃ》の変生《へんしょう》だろう」ト近辺の者は影人形を使うとか言う。夫婦の間に二人の子がある。姉をお勢《せい》と言ッて、その頃はまだ十二の蕾《つぼみ》、弟《おとと》を勇《いさみ》と言ッて、これもまた袖で鼻汁《はな》拭《ふ》く湾泊盛《わんぱくざか》り(これは当今は某校に入舎していて宅には居らぬので)、トいう家内ゆえ、叔母一人の機《き》に入ればイザコザは無いが、さて文三には人の機嫌《きげん》気褄《きづま》を取るなどという事は出来ぬ。唯心ばかりは主《しゅう》とも親とも思ッて善く事《つか》えるが、気が利《き》かぬと言ッては睨付《ねめつ》けられる事何時も何時も、その度ごとに親の難有《ありがた》サが身に染《し》み骨に耐《こた》えて、袖に露を置くことは有りながら、常に自ら叱《しか》ッてジット辛抱、使歩行《つかいある》きをする暇《いとま》には近辺の私塾へ通学して、暫《しばら》らく悲しい月日を送ッている。ト或る時、某学校で生徒の召募があると塾での評判取り取り、聞けば給費だという。何も試しだと文三が試験を受けて見たところ、幸いにして及第する、入舎する、ソレ給費が貰《もら》える。昨日《きのう》までは叔父の家とは言いながら食客《いそうろう》の悲しさには、追使われたうえ気兼苦労|而已《のみ》をしていたのが、今日は外《ほか》に掣肘《ひかれ》る所もなく、心一杯に勉強の出来る身の上となったから、ヤ喜んだの喜ばないのと、それはそれは雀躍《こおどり》までして喜んだが、しかし書生と言ッてもこれもまた一苦界《ひとくがい》。固《もと》
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