叔母がそう憎くはなくなった、イヤ寧《むし》ろ叔母に対して気の毒に成ッて来た。文三の今我《こんが》は故吾《こご》でない、シカシお政の故吾も今我でない。
悶着《もんちゃく》以来まだ五日にもならぬに、お政はガラリその容子《ようす》を一変した。勿論以前とてもナニモ非常に文三を親愛していた、手車に乗せて下へも措かぬようにしていたト云うでは無いが、ともかくも以前は、チョイと顔を見る眼元、チョイと物を云う口元に、真似て真似のならぬ一種の和気を帯びていたが、この頃は眼中には雲を懸けて口元には苦笑《にがわらい》を含んでいる。以前は言事がさらさらとしていて厭味気《いやみけ》が無かッたが、この頃は言葉に針を含めば聞て耳が痛くなる。以前は人我《にんが》の隔歴が無かッたが、この頃は全く他人にする。霽顔《せいがん》を見せた事も無い、温語をきいた事も無い。物を言懸ければ聞えぬ風《ふり》をする事も有り、気に喰わぬ事が有れば目を側《そばだ》てて疾視付《にらみつ》ける事も有り、要するに可笑しな処置振りをして見せる。免職が種の悶着はここに至ッて、沍《い》ててかじけて凝結し出した。
文三は篤実温厚な男、仮令《よし》その人と為《な》りはどう有ろうとも叔母は叔母、有恩《うおん》の人に相違ないから、尊尚親愛して水乳《すいにゅう》の如くシックリと和合したいとこそ願え、決して乖背《かいはい》し※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離《きり》したいとは願わないようなものの、心は境に随《したが》ッてその相を顕《げん》ずるとかで、叔母にこう仕向けられて見ると万更好い心地もしない。好い心地もしなければツイ不吉な顔もしたくなる。が其処《そこ》は篤実温厚だけに、何時も思返してジッと辛抱している。蓋《けだ》し文三の身が極まらなければお勢の身も極まらぬ道理、親の事ならそれも苦労になろう。人世の困難に遭遇《であっ》て、独りで苦悩して独りで切抜けると云うは俊傑《すぐれもの》の為《す》る事、並《なみ》や通途《つうず》の者ならばそうはいかぬがち。自心に苦悩が有る時は、必ずその由来する所を自身に求めずして他人に求める。求めて得なければ天命に帰してしまい、求めて得《う》れば則《すなわ》ちその人を※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2−5−68]嫉《ぼうしつ》する。そうでもしなければ自《みずか》ら慰める事が出来ない。「叔母もそれでこう辛《
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