思ッたと見えて、
「お勢ッ子で沢山だ、婦人の癖にいかん、生意気で」
 ト云いながら得々として二階を降りて往た。跡で文三は暫《しば》らくの間また腕を拱《く》んで黙想していたが、フト何か憶出《おもいだ》したような面相《かおつき》をして、起上《たちあが》ッて羽織だけを着替えて、帽子を片手に二階を降りた。
 奥の間の障子を開けて見ると、果して昇が遊《あそび》に来ていた。しかも傲然《ごうぜん》と火鉢《ひばち》の側《かたわら》に大胡坐《おおあぐら》をかいていた。その傍《そば》にお勢がベッタリ坐ッて、何かツベコベと端手《はした》なく囀《さえず》ッていた。少年の議論家は素肌《すはだ》の上に上衣《うわぎ》を羽織ッて、仔細《しさい》らしく首を傾《かし》げて、ふかし甘薯《いも》の皮を剥《む》いてい、お政は囂々《ぎょうぎょう》しく針箱を前に控えて、覚束《おぼつか》ない手振りでシャツの綻《ほころび》を縫合わせていた。
 文三の顔を視《み》ると、昇が顔で電光《いなびかり》を光らせた、蓋《けだ》し挨拶《あいさつ》の積《つもり》で。お勢もまた後方《うしろ》を振反ッて顧《み》は顧たが、「誰かと思ッたら」ト云わぬばかりの索然とした情味の無い面相《かおつき》をして、急にまた彼方《あちら》を向いてしまッて、
「真個《ほんとう》」
 ト云いながら、首を傾げてチョイと昇の顔を凝視《みつ》めた光景《ようす》。
「真個さ」
「虚言《うそ》だと聴きませんよ」
 アノ筋の解らない他人の談話《はなし》と云う者は、聞いて余り快くは無いもので。
「チョイと番町まで」ト文三が叔母に会釈《えしゃく》をして起上《たちあが》ろうとすると、昇が、
「オイ内海、些《すこ》し噺が有る」
「些《ち》と急ぐから……」
「此方《こっち》も急ぐんだ」
 文三はグット視下ろす、昇は視上げる、眼と眼を疾視合《にらみあ》わした、何だか異《おつ》な塩梅《あんばい》で。それでも文三は渋々ながら坐舗《ざしき》へ這入《はい》ッて坐に着いた。
「他の事でも無いんだが」
 ト昇がイヤに冷笑しながら咄し出した。スルトお政はフト針仕事の手を止《とど》めて不思議そうに昇の貌《かお》を凝視《みつ》めた。
「今日役所での評判に、この間免職に成た者の中《うち》で二三人復職する者が出来るだろうと云う事だ。そう云やア課長の談話に些し思当る事も有るから、或《あるい》は実説だろうか
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