ャ行で、熟思黙想しながら、折々|間外《まはず》れな溜息《ためいき》噛交《かみま》ぜの返答をしていると、フトお勢が階子段《はしごだん》を上《のぼ》ッて来て、中途から貌《かお》而已《のみ》を差出して、
「勇」
「だから僕《ぼか》ア議論して遣《や》ッたんだ。ダッテ君、失敬じゃないか。『ボート』の順番を『クラッス』(級)の順番で……」
「勇と云えば。お前の耳は木くらげかい」
「だから何だと云ッてるじゃ無いか」
「綻《ほころび》を縫てやるからシャツをお脱ぎとよ」
 勇はシャツを脱ぎながら、
「『クラッス』の順番で定《き》めると云うんだもの、『ボート』の順番を『クラッス』の順番で定めちゃア、僕ア何だと思うな、僕ア失敬だと思うな。だって君、『ボート』は……」
「さッさとお脱ぎで無いかネー、人が待ているじゃ無いか」
「そんなに急がなくッたッて宜《いい》やアネ、失敬な」
「誰方《どっち》が失敬だ……アラあんな事言ッたら尚《な》お故意《わざ》と愚頭々々《ぐずぐず》しているよ。チョッ、ジレッタイネー、早々《さっさ》としないと姉さん知らないから宜《い》い」
「そんな事云うなら Bridle《ブライドル》 path《パッス》 と云う字を知てるか、I《アイ》 was《ウォズ》 at《エット》 our《アワー》 uncle's《アンクルス》 ト云う事知てるか、I《アイ》 will《ウィル》 keep《キープ》 your《ユアー》……」
「チョイとお黙り……」
 ト口早に制して、お勢が耳を聳《そばだ》てて何か聞済まして、忽《たちま》ち満面に笑《わらい》を含んでさも嬉《うれ》しそうに、
「必《きっ》と本田さんだよ」
 ト言いながら狼狽《あわ》てて梯子段《はしごだん》を駈下《かけお》りてしまッた。
「オイオイ姉さん、シャツを持ッてッとくれッてば……オイ……ヤ失敬な、モウ往《いっ》ちまッた。渠奴《あいつ》近頃生意気になっていかん。先刻《さっき》も僕ア喧嘩《けんか》して遣たんだ。婦人《おんな》の癖に園田勢子と云う名刺《なふだ》を拵《こし》らえるッてッたから、お勢ッ子で沢山だッてッたら、非常に憤《おこ》ッたッけ」
「アハハハハ」
 ト今まで黙想していた文三が突然無茶苦茶に高笑を做出《しだ》したが、勿論《もちろん》秋毫《すこし》も可笑《おか》しそうでは無かッた。シカシ少年の議論家は称讃《しょうさん》されたのかと
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