tのようにお成り被成《なされ》候ように○○《どこそこ》のお祖師さまへ茶断《ちゃだち》して願掛け致しおり候まま、そなたもその積りにて油断なく御奉公口をお尋ね被成度《なされたく》念じ※[#「参らせ候」のくずし字、103−14]《まいらせそろ》。
[#ここで字下げ終わり]
 文三は手紙を下に措《お》いて、黙然《もくぜん》として腕を拱《く》んだ。
 叔母ですら愛想《あいそ》を尽かすに、親なればこそ子なればこそ、ふがいないと云ッて愚痴をも溢さず茶断までして子を励ます、その親心を汲分《くみわ》けては難有泪《ありがたなみだ》に暮れそうなもの、トサ文三自分にも思ッたが、どうしたものか感涙も流れず、唯|何《なに》となくお勢の帰りが待遠しい。
「畜生、慈母《おっか》さんがこれ程までに思ッて下さるのに、お勢なんぞの事を……不孝極まる」
 ト熱気《やっき》として自ら叱責《しか》ッて、お勢の貌《かお》を視るまでは外出《そとで》などを做《し》たく無いが、故意《わざ》と意地悪く、
「これから往って頼んで来よう」
 ト口に言って、「お勢の帰って来ない内に」ト内心で言足しをして、憤々《ぷんぷん》しながら晩餐《ばんさん》を喫して宿所を立出《たちい》で、疾足《あしばや》に番町《ばんちょう》へ参って知己を尋ねた。
 知己と云うは石田|某《なにがし》と云って某学校の英語の教師で、文三とは師弟の間繋《あいだがら》、曾《かつ》て某省へ奉職したのも実はこの男の周旋で。
 この男は曾て英国に留学した事が有るとかで英語は一通り出来る。当人の噺《はなし》に拠《よ》れば彼地《あちら》では経済学を修めて随分上出来の方で有ったと云う事で、帰朝後も経済学で立派に押廻わされるところでは有るが、少々|仔細《しさい》有ッて当分の内(七八年来の当分の内で)、唯の英語の教師をしていると云う事で。
 英国の学者社会に多人数《たにんず》知己が有る中に、かの有名の「ハルベルト・スペンセル」とも曾て半面の識が有るが、シカシもう七八年も以前の事ゆえ、今面会したら恐らくは互に面忘《おもわす》れをしているだろうと云う、これも当人の噺《はなし》で。
 ともかくもさすがは留学しただけ有りて、英国の事情、即《すなわ》ち上下《じょうか》議院の宏壮《こうそう》、竜動府《ロンドンふ》市街の繁昌、車馬の華美、料理の献立、衣服|杖履《じょうり》、日用諸雑品の名称等、
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