身というものは意久地の無い者で、腕は真陰流に固ッていても鋤鍬《すきくわ》は使えず、口は左様《さよう》然《しか》らばと重く成ッていて見れば急にはヘイの音《ね》も出されず、といって天秤《てんびん》を肩へ当るも家名の汚《けが》れ外聞が見ッとも宜《よ》くないというので、足を擂木《すりこぎ》に駈廻《かけまわ》ッて辛《から》くして静岡藩の史生に住込み、ヤレ嬉《うれ》しやと言ッたところが腰弁当の境界《きょうがい》、なかなか浮み上る程には参らぬが、デモ感心には多《おおく》も無い資本を吝《おし》まずして一子文三に学問を仕込む。まず朝|勃然《むっくり》起る、弁当を背負《しょ》わせて学校へ出《だし》て遣《や》る、帰ッて来る、直ちに傍近の私塾へ通わせると言うのだから、あけしい間がない。とても余所外《よそほか》の小供では続かないが、其処《そこ》は文三、性質が内端《うちば》だけに学問には向くと見えて、余りしぶりもせずして出て参る。尤《もっと》も途《みち》に蜻蛉《とんぼ》を追う友を見てフト気まぐれて遊び暮らし、悄然《しょんぼり》として裏口から立戻ッて来る事も無いではないが、それは邂逅《たまさか》の事で、ママ大方は勉強する。その内に学問の味も出て来る、サア面白くなるから、昨日《きのう》までは督責《とくせき》されなければ取出さなかッた書物をも今日は我から繙《ひもと》くようになり、随《したが》ッて学業も進歩するので、人も賞讃《ほめそや》せば両親も喜ばしく、子の生長《そだち》にその身の老《おゆ》るを忘れて春を送り秋を迎える内、文三の十四という春、待《まち》に待た卒業も首尾よく済だのでヤレ嬉しやという間もなく、父親は不図感染した風邪《ふうじゃ》から余病を引出し、年比《としごろ》の心労も手伝てドット床に就《つ》く。薬餌《やくじ》、呪《まじない》、加持祈祷《かじきとう》と人の善いと言う程の事を為尽《しつく》して見たが、さて験《げん》も見えず、次第々々に頼み少なに成て、遂《つい》に文三の事を言い死《じに》にはかなく成てしまう。生残た妻子の愁傷は実に比喩《たとえ》を取るに言葉もなくばかり、「嗟矣《ああ》幾程《いくら》歎いても仕方がない」トいう口の下からツイ袖《そで》に置くは泪《なみだ》の露、漸《ようや》くの事で空しき骸《から》を菩提所《ぼだいしょ》へ送りて荼毘《だび》一片の烟《けぶり》と立上らせてしまう。さて※[
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