ハ嬪ですネ」
「そして家で視たよりか美しくッてネ。それだもんだから……ネ……貴君《あなた》もネ……」
 ト眼元と口元に一杯笑いを溜《た》めてジッと昇の貌を凝視《みつ》めて、さてオホホホと吹溢《ふきこ》ぼした。
「アッ失策《しま》ッた、不意を討たれた。ヤどうもおそろ感心、手は二本きりかと思ッたらこれだもの、油断も隙《すき》もなりゃしない」
「それにあの嬢《かた》も、オホホホ何だと見えて、お辞儀する度《たんび》に顔を真赤にして、オホホホホホ」
「トたたみかけて意地目《いじめ》つけるネ、よろしい、覚えてお出でなさい」
「だッて実際の事ですもの」
「シカシあの娘が幾程《いくら》美しいと云ッたッても、何処かの人にゃア……とても……」
「アラ、よう御座んすよ」
「だッて実際の事ですもの」
「オホホホ直ぐ復讐《ふくしゅう》して」
「真《しん》に戯談《じょうだん》は除《の》けて……」
 ト言懸ける折しも、官員風の男が十《とお》ばかりになる女の子の手を引いて来蒐《きかか》ッて、両人《ふたり》の容子を不思議そうにジロジロ視ながら行過ぎてしまッた。昇は再び言葉を続《つ》いで、
「戯談は除けて、幾程美しいと云ッたッてあんな娘にゃア、先方《さき》もそうだろうけれども此方《こッち》も気が無い」
「気が無いから横目なんぞ遣いはなさらなかッたのネー」
「マアサお聞きなさい。あの娘ばかりには限らない、どんな美しいのを視たッても気移りはしない。我輩には『アイドル』(本尊)が一人有るから」
「オヤそう、それはお芽出度う」
「ところが一向お芽出度く無い事サ、所謂《いわゆる》鮑《あわび》の片思いでネ。此方《こっち》はその『アイドル』の顔が視たいばかりで、気まりの悪いのも堪《こら》えて毎日々々その家へ遊びに往けば、先方《さき》じゃ五月蠅《うるさい》と云ッたような顔をして口も碌々《ろくろく》きかない」
 トあじな眼付をしてお勢の貌をジッと凝視《みつ》めた。その意を暁《さと》ッたか暁らないか、お勢は唯ニッコリして、
「厭な『アイドル』ですネ、オホホホ」
「シカシ考えて見れば此方《こっち》が無理サ、先方《さき》には隠然亭主と云ッたような者が有るのだから。それに……」
「モウ何時でしょう」
「それに想《おもい》を懸けるは宜く無い宜く無いと思いながら、因果とまた思い断《き》る事が出来ない。この頃じゃ夢にまで見る」
「オ
前へ 次へ
全147ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング