普sでたち》の少年を顧みて、
「ダガ何か食《くい》たくなったなア」
「食たくなった」
「食たくなってもか……」
 ト愚痴ッぽく言懸けて、フトお政と顔を視合わせ、
「ヤ……」
「オヤ勇《いさみ》が……」
 ト云う間もなく少年は駈《かけ》出して来て、狼狽《あわ》てて昇に三ツ四ツ辞儀をして、サッと赤面して、
「母親《おっか》さん」
「何を狼狽《あわ》てて[#「狼狽《あわ》てて」は底本では「狼狙《あわ》てて」]いるんだネー」
「家《うち》へ往ったら……鍋に聞いたら、文さんばッかだッてッたから、僕ア……それだから……」
「お前、モウ試験は済んだのかえ」
「ア済んだ」
「どうだッたえ」
「そんな事よりか、些《すこ》し用が有るから……母親さん……」
 ト心有気《こころありげ》に母親の顔を凝視《みつ》めた。
「用が有るなら茲処《ここ》でお言いな」
 少年は横目で昇の顔をジロリと視て、
「チョイと此方《こっち》へ来ておくれッてば」
「フンお前の用なら大抵知れたもんだ、また『小遣いが無い』だろう」
「ナニそんな事《こっ》ちゃない」
 ト云ッてまた昇の顔を横眼で視て、サッと赤面して、調子外れな高笑いをして、無理矢理に母親を引張ッて、彼方《あちら》の杉の樹の下《もと》へ連れて参ッた。
 昇とお勢はブラブラと歩き出して、来るともなく往《ゆ》くともなしに宮の背後《うしろ》に出た。折柄《おりから》四時頃の事とて日影も大分|傾《かたぶ》いた塩梅、立駢《たちなら》んだ樹立の影は古廟《こびょう》の築墻《ついじ》を斑《まだら》に染めて、不忍《しのばず》の池水は大魚の鱗《うろこ》かなぞのように燦《きら》めく。ツイ眼下に、瓦葺《かわらぶき》の大家根《おおやね》の翼然《よくぜん》として峙《そばだ》ッているのが視下される。アレハ大方|馬見所《ばけんじょ》の家根で、土手に隠れて形は見えないが車馬の声が轆々《ろくろく》として聞える。
 お勢は大榎《おおえのき》の根方《ねがた》の所で立止まり、翳《さ》していた蝙蝠傘《こうもりがさ》をつぼめてズイと一通り四辺《あたり》を見亘《みわた》し、嫣然《えんぜん》一笑しながら昇の顔を窺《のぞ》き込んで、唐突に、
「先刻《さっき》の方は余程《よっぽど》別嬪でしたネー」
「エ、先刻の方とは」
「ソラ、課長さんの令妹とか仰《おっ》しゃッた」
「ウー誰の事かと思ッたら……そうですネ、随分
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