る熱心、碁客が碁に対する凝り方、那様《そんな》のと同様で、自分の存在は九分九厘は遊んでいるのさ。真面目と云うならば、今迄の文学を破壊する心が、一度はどうしても出て来なくちゃならん。
 だから私の態度は……私は到底文学者じゃない。併し文学が児戯に類すると云う話と、今の話は別だよ。ただ批評をして見ると、一寸そんな事を云って見度くなるのだね。
 私は、まア、懐疑派《スケプチスト》だ。第一|論理《ロジック》という事が馬鹿々々しい。思想之法則《ローオブソート》は人間の頭に上る思想を整理《アドジャスト》するだけで、其が人間の真生活《リーヤルライフ》とどれだけの関係があるか。心理学上、人間は思想だけじゃない。精神活動力《メンタルエナージー》の現われ方には情もあれば知もあり意もある。それを思想だけ整理しても駄目じゃないか。成程、相等しき物は同一なりは尤もの次第で、他に考えようもないが、併し「何故《ホワイ》」という観念が出て来ると、私はそれに依頼されなくなる。心理学上の識覚《コンシアスネス》について云って見ても、識覚に上らぬ働き(アンダー、コンシアス、ウオーク)が幾らあるか知れぬ。反射的動作《レフレクチ
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