い。今の文学者なざ殊に、西洋の影響を受けていきなり[#「いきなり」に傍点]文学は有難いものとして担ぎ廻って居る。これじゃ未だ未だ途中だ。何にしても、文学を尊ぶ気風を一旦壊して見るんだね。すると其|敗滅《ルーインス》の上に築かれて来る文学に対する態度は「文学も悪くはないな!」ぐらいな処《とこ》になる。心持ちは第一義に居ても、人間の行為は第二義になって現われるんだから、ま、文学でも仕方がないと云うように、価値が定《き》まって来るんじゃないかと思う。
一寸親子の愛情に譬えて見れば、自分の児は他所《よそ》の児より賢くて行儀が可《い》いと云う心持ちは、濁って垢抜けのしない心持ちである。然るに垢抜けのした精美《リファインド》された心持ちで考えると、自分の児は可愛いには違いないが、欠点も仲々ある、どうしても他所の児の方が可い、併し可愛いとなる。これと同じ事で、文学にしがみ[#「しがみ」に傍点]付いて、其でなきゃ夜も日も明けぬと云うな、真に文学を愛するもんじゃないね。今の文学者が文学に対する態度は真面目になったと云うが、真面目じゃなくて熱心になっただけだろう。法華信者が偏頗《へんぱ》心で法華に執着す
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