たが、北京で仏人の手紙が届いた時、字引を引き/\読んでみると造作もなく分つた、分る事は分つたが返事が書けるかしらと、何しても此時初めてエスペラント語で書いたものを読んで見たのだから、内々危ぶみつゝ文法を読み読み、字引を繰《く》り/\やつてみると、手紙も亦《また》造作もなく書けた、尤《もつと》も余り名文でもなかつたかも知れぬが、兎に角意味の通じる程には書けた積りだ。これは私ばかりではない誰でも然《さ》うなので、現に此間も去る友人から「世界語」を一部送つて呉《くれ》ろと言つて来たから送つてやると、直ぐエスペラントで小版三頁程の手紙を寄越《よこ》した、尤も此友人は倫敦に永く居た人で英文に堪能である所為《せゐ》もあらうが、中々巧く書いてある、而《そ》してその言草が好いぢやないか、エスペラントの容易《やさ》しいのには驚いたトかうだ。が、実際その通りで驚く程容易しい、此通り誰でも研究といふ程の研究はせずとも、文法の十六則に一通り目を透《とほ》しさへすれば、一寸文章も書ける。こんな容易しい言語が世の中に又と有らうと思へぬ。さう容易しくては複雑な思想は言顕《いひあら》はせまいと思ふ人もあらうが、ところ
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