が然《さ》うでない。かの「世界語」の終りに載せた世界語既刊書目を見ても分るが、既にシェークスピヤのハムレットもエスペラントの飜訳になつてゐる、ヂッケンスのクリスマス、キャロルも飜訳になつてゐる、ハイネ、ゲーテの詩も飜訳されてある、バイロンも、プーシキンも、トルストイもシンキーウ※[#小書き片仮名ヰ、377−上−13]チも飜訳されてある、私が曾て苅心《かるしん》と署名して四日間といふガルシンのスケッチを反訳して新小説に出したことがあるが、あんなものまで最《も》う反訳されてある。是は皆美文だが、哲学書にしてもライプニッツのモナドロギイが反訳になつてゐる位だから、凡《およ》そ今の人間の言語で言顕はす事は、どんな事でもエスペラントで言はれぬといふことはない、それでゐて殆《ほとん》ど研究といふ程の研究をせんでも分るのだから、それから推《お》してもエスペラントの将来は実に多望だ。十年二十年と経つたら、今より数十倍応用の範囲が弘まり、五十年も経つたら、各国の小学校の必須科目になるかも知れん、現に既に必須科目にしてゐる地方もある位だから、そりや然ういふことになるかも知れん、私はエスペラントの将来に就い
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