思ひ合せればエスペラントは或一部の人の想像するやうなユートピヤではない、既に世界の人から国際語として存在の価値あることを認められて現に応用されつゝあるものだ。
発明後|僅《わづ》か二十年|経《た》つか経たぬ中に此通り弘まつたのは、一方から言へば人間の交通が益々頻繁になつて世界通用語の必要が切に感ぜられることを証拠立てると同時に、一方に於てはエスペラントなるものが此需要を満足する恰好《かつかう》の言語であることを証拠立てるとまあいふべきでせう。まあ試みにやつて御覧、それは造作もないものだ。文法は僅か十六則で、語根が一千語内外、それはあの「世界語」の終に載せた字書に残らず収まつてゐるから、あの字書さへあれば、十六則の文法を便りにして、一寸本も読めれば、会話も出来、手紙もかける、格別研究する必要もない位のものだ。論より証拠、かういふ私は浦潮でポストニコフといふ人から習つたと云つても唯アルファベットの読み方を教へて貰つたゞけの事で其外何も習つたのでない、而《しか》もアルファベットも習ひ放しで、いろ/\忙がしかつたものだから、教科書は鞄の中へ放り込んだ儘《まゝ》ツイ窺《のぞ》いてみた事もなかつ
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