の口へ掛けたら、どうやら支離滅裂になつて了《しま》ひさうで、どうも申分が多いが、外に之に代るべきものもないから、一時は相応に研究する者もあつた、我国でも読売新聞が其文法を飜訳して附録にして出したことがあるから或は研究した人もあるでせう、しかし何国《どこ》でも未だ弘く行はれるといふ程に行かぬ中、千八百八十七年、即ち明治十八[#「十八」に「ママ」の注記]年になりますかな、其年の末に初めて所謂《いはゆる》エスペラントが世に公《おほやけ》にせられた。之は露国ワルソウの人だから詰《つま》り波蘭人《ポーランドじん》だ、其波蘭人のドクトル、ザメンコフといふ人の発明で、かのウォラビュックなどから視ると、遙かに自然的で無理が少ないから、忽《たちまち》の中に非常な勢で諸国に弘まつた。今では世界中で亜細亜や阿弗利加を除いては到る処にエスペラント協会が出来てゐて、其教科書は各国語に飜訳されてある。私が始て浦潮斯徳《ウラジオストック》でポストニコフといふ人からエスペラント語を習つた時にも、同氏から此語が欧米で盛に研究されつゝある話を聴いたことがあつたが、当時は仔細あつて私の心は彼に在つて此《こゝ》に無しといふ有
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング