た、で、或は電信の符号のやうなものを作つて、○と見たら英人はサンと思へ、独逸人はゾンネと思へさ、ね、日本人なら太陽と読めと云つたやうな説もあつたが、そんな無理な事は到底行はれん。そこで、現在の各国に国語中一番弘く行はれてゐる英語とか仏語とかを採つて国際語にしたらといふ説も出たが、これも弊が多くて困る、成程《なるほど》英語が国際語になつたら英人には都合が好からうが夫《それ》では他の国民が迷惑する。仏語でも独逸語でも其通り、夫に各国人皆それ/″\に自尊心といふものが有るから、余所《よそ》の国の言葉が国際語になつては承知せん、何でも自分の国の言葉を採用しろと主張する、到底《とて》も相談の纏《まと》まる見込はない、そこで是はどうでも何か新しい言語《ことば》を作つて、それを一般に行ふより外手段はないとなつて諸国の学者は此方面でいろ/\工夫してゐる中に、千八百八十二年といへば明治十二[#「十二」に「ママ」の注記]年に当りますかね、其年にウォラビュックといふ新発明の国際語が出来た、かの符号などから視れば余程気が利《き》いてゐるけれど、惜しい事には余り人為的で、細工に過ぎてゐて之を人情風俗の違ふ各国人
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング