ながら、クリストの生涯を説くことは僭越すぎることであります。説くよりも汝のその金の指輪を貧しき人に心より贈れよと自分は叫びたいのであります!」
 平一郎は身を慄わして、壇上のA氏の碧眼を睨みつけていた。全精神が宇宙とともに燃えあがる。彼はこのとき恐ろしいもののない「権威」を全身に感じていた。はじめ人々は突然のことに静まり返っていたが、やがて一斉に騒ぎはじめた。彼等は若いが故に平一郎の悲壮な英雄的態度にすっかりまいったのである。
 夕ぐれ、平一郎は寂しいさびしい心を抱いて天野の邸へ帰って来た。彼は雷にうたれた人のように打ち沈んでいた。彼は世界的の基督教者を「やりこめた」勝利者だったが、彼は学校からの帰り路で自分が今どこへ帰ろうとしているのかと自分に尋ねたとき、彼は苦しくなった。天野へ! ああ、A氏の金の指輪を偽善者! と叫ぶことの出来たこの自分は、更に浅ましい偽善者ではないか。「天野の世話」になることがすでに何となく心|咎《とが》めのすることであるのに、「冬子」の存在! 母の戒め! 平一郎は淋しい、「神」に見放された「自信」のない心を抱いて、夕飯も食わずに自分の部屋に閉じ籠ってしまった。
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