傍点]ることの証拠だ。この有[#「有」に白丸傍点]ることを生命だというなら生命と言ってもよい。クリストという男は永遠の生命に触れれば泉のごとく尽きずと言ったそうだが、なるほど泉のごとく尽きないことは真理だ。しかしその永遠であることが絶大な歓喜であると説くのは少なくとも己にとっては赤の嘘である。己達は永遠にある。どれ程無くなろうと思っても無であることは許されない。死という有[#「有」に白丸傍点]に変り得ても全然無[#「無」に白丸傍点]くなることは出来ないのだ。己達には全宇宙は知ることが出来ない。しかし全宇宙は遂に全宇宙で己達は知らないでも、それは永久の同じい有[#「永久の同じい有」に白丸傍点]であることは確かである。己達はその全宇宙の一部として永遠に有であることも確かである。己達は死ぬ。しかしそれは決して己達が考えるような死ではない。だから死んで苦しみが脱却されるわけではない。宗教家は苦を脱した解脱を説くけれど、その解脱というものは生に対する死、苦痛を脱したと思う苦痛に過ぎないじゃないか。苦痛という苦痛を神もしくは救済という苦痛と置き変えるだけじゃないか。要するにどうにもならないのだ。ど
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