なかった。彼は下げていた鞄をそこに投げ出していきなりうしろから長田の頬を擲《なぐ》りつけた。
「誰だ※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
「己《おれ》だ!」振り向いた長田はそれが平一郎であるのに少したじろいだらしかった。腕力の強いものにあり勝ちな、権威の前に臆病な心を長田も持っていたのだ。そして平一郎が少なくとも級《クラス》の統治者であることをも彼は十分知っていたからだ。ひるむところを平一郎はもう一つ耳のあたりに拳固をあてた。「深井をはなしてやれ!」「ううむ」それで長田は手をゆるめて立ち上がった。
「大河だな」
「そうよ」平一郎は長田を見上げて、必死の覚悟で答えた。
「覚えておれ! 大河!」
「覚えているとも! 生意気だ、深井を稚子さんにしようなんて!」
するうちに組み敷かれていた深井が起きあがって、黒い睫毛の長い眼に涙をにじまして、洋服の泥をはたいていた。長田は平一郎と深井を睨み比べていたが、「大河、お前こそ、おかしいぞ!」と呟いて、そして悠々と立ち去ってしまった。平一郎は自分が自分よりも腕力の強い長田を逃げ出さしたことに多少の快感を感じつつ、平生あまり親しくはしていないが深井を家
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