ぞ!)
「そしてお前は何になろうと思っている」
「僕は真の政治家になってこの不幸な世を済《すく》いたいと思います」
「世を済うには金が要るようだね」
「金――は要ります。しかし金は第二です。僕は貧乏でも――」
「貧乏でも済ってみせるか。あはははは、――東京へ来て勉強してみる気はないのかい。大河君」
「母さえ許せば僕は行きたいです」
桜の蕾のあからむ四月のはじめ、平一郎は母に別れてひとり上京することになった。上野駅へは冬子が出迎える筈だった。(さようなら、母さん、御機嫌よう、僕は母さんの独り子であることを忘れますまい! ああ、ほんとに御機嫌よう! たとえどのようなことがあろうとも、僕は僕の志をきっとやりきってお目にかけます! ああ、ほんとに御機嫌よう)――平一郎は東京へ去ったのである。
「とう/\本当に自分一人になってしまった!」お光は囁いた。(姉を奪われ、兄を奪われ、夫を奪われ、冬子を奪われ、そして今また、平一郎をさえ奪われてしまった。)憎しみもなく悲しみもなかった。寂しさが静かに湧くのみである。そして、何んとも知らず、
「天野に勝つものは平一郎だ」と呟いた。
[#改ページ]
第九章
早春の夜更けである。雪も降らず風も烈しくなかった。碧深の夜空は穏かに澄んでいた。その空の下に、東京。華やかな灯と暗との交錯を走る電車の中で、平一郎は今より彼に開かれる新しい生活と新しい人間に祈りを籠めた。量り知られぬ人間力の大潮、大いなる都会は未来を蔵してどう/\と永遠の騒音を響かしている。車窓からは高層な建築、広い道路の石畳、街路樹の濃い常磐葉、電燈と瓦斯の赤光白光の入りまじり、行き交う市民の群、自動車の攻撃的で威嚇するような探光と轟音。何んというすばらしい豪壮さだ! こう彼は思って傍に坐っている冬子の横顔を見ずにいられなかった。この大都会の只中に自分の知っているのはこの冬子一人であるのだと考えながら、多くの昇降する婦人達の中で冬子の端厳な美しさが少しも落ちて感じられないのを誇らしく思った。(東京へ来たって冬子はやはり美しく――自分だって、たかが…東…京――)市街の中央地らしい、両側の建築が宏壮で威厳と重厚を現わしている、その屋並の深い水色に荘重な五層の石造建築を冬子はそっと指さして、「旦那様の会社よ」と言ってくれた。やがて車掌が「M街三丁目」と呼ぶ声がした。
前へ
次へ
全181ページ中153ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング