と、市子が、お光に平一郎さんを連れてすぐ古龍亭に来てくれとの冬子から電話だと知らして来た。お光は恐ろしいものにぶつかったように、慄えながら、重大な運命の岐れ路をはっきり見ながら、祈るように、
「平一郎、お前、もし世話してくれる人があったなら一人で東京へ行って勉強する気がありますかい」とたずねた。
「――?」
「冬子さんがね、お前が東京へ行って勉強する気があるなら天野という方に頼んでみるがどうかと話していたのですよ」
「――?」
「つまり天野さんのお邸に置いていただいて、学校へやっていただくのですからね」
「――僕、とにかく古龍亭へ行ってみましょう!」
「そう」お光はがっかりして喪神したように箪笥から新しい袴、羽織、袷を出して黙って彼の前に置いた。そして自分も着物を着替えてかなり遠い雪路を歩いて古龍亭へ出かけた。
お光は門口まで来て、はいらなかった。女中は平一郎を鄭重に案内した。畳廊下を通って行くと、向うから冬子が微笑みつつ迎え出た。
「大きくなりなすって! もう平一郎さんはすっかり大人になってしまったのね」
彼は笑った。そして(やはり美しい)と思った。
「天野の旦那様にあなたのことをお話ししたら、是非、会ってみたいと言われましたの。ね、よくはき/\とものを言わなくちゃいけませんのよ。――小母さんは?」
「どうしても中へはいるのは厭だといって肯《き》かないんです」
十畳室は金台の屏風と色彩の燃えるような熾烈な段通とで平一郎にはもく/\ともれあがるような盛んな印象を与えた。彼はその室の中央に寝そべって、一人の女中に足をもましている天野を見た。彼は手をついてお辞儀をした。
「この人でございますの」と冬子が紹介した。
「お前は何という人かね」と天野は穏かに尋ねた。
「僕は大河平一郎と申します」
「学校は?」
「学校は――さっぱりだめです」と平一郎は言って、「今、中学四年を卒《おわ》ったところです」とつけ加えた。
室内|煖爐《ストーブ》の瓦斯の焔は青く燃え、熱気になれない平一郎は眩暈《めまい》を起こしそうでならなかった。彼はこの豪奢な生活の中に悠々と寝そべって自分に肉迫する巨人をじっと睨みつけていた。彼は生まれてはじめてこういう人間にあったのである。ある根強い圧力が彼を圧しつけようとして止まない。平一郎は自分の内部に超自然的にその圧力に抗してゆく力を感じた。(負けない
前へ
次へ
全181ページ中152ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング