れて市子は、一つ一つの振りにこもる感情の含蓄は理解出来ないまでも、熱心にやりはじめた。すると電話室の方でけたたましく電鈴《ベル》が鳴った。
「米子ちゃん」とお幸が米子に注意すると、奥にいた女将がすでに「あ、どなた」と出たので、踊りはまたはじめられた。電話は随分永く、踊りがすんでもまだ切れなかった。
「え、分りました。わたしの方でも粗相のないように致しましょう。それじゃちょっと待って下さい。今すぐ御返事しますから」女将は髪を掻きながら茶の間へ来て、冬子とお幸を迷うように見比べながら、「古龍亭から、今っから泊まる用意をして来てくれないかっていうんだよ。何んでも東京の大した実業家だそうだから、めったな事があっちゃ金沢の市街の体面にもかかわるっていうんだから」
「女将さん、わたし、ゆきます」
 どうしてこの答が出たか。してしまってからも冬子自身にも了解出来なかった。つまり運命だったのだ。平常、お座敷を争ったことのない冬子であるだけにお幸にしても口出しが出来なかった。
「それじゃ冬子さん、行っておくれよね、あとから着物から何から持たしてやりますから。何んでも余程大したお方のようだったからそのつもりでね」
「ええ」
 冬子は立ち上がったとき一脈の身顫いを感じた。座の知れぬ深い夜の空に星辰が美しく輝いている下を冬子は俥を走らせたのである。古龍亭へ着くと顔馴染の女中が彼女を一室へと招き入れた。そこには宴会などで同座したことのある、鼻が高く大きく赤いために「天狗」と世間からいわれているこの市街の市長が立っていた。
「いや御苦労、御苦労。早速ですが、ここへ今夜お泊りの方は日本でも一、二と言われる有名な方ですがな、実は世間へも知らさずこうしてお呼びしたのは深い理由のあることで」と「天狗」の市長は次のようなことを語った。商工業の振わない金沢の市街で唯一の大工業である陶器会社に二、三年来種々の問題が起きて、三期も続いて欠損を続けているが、この六月職工の待遇でどうにかやりくりして五分の利益配当をやった。ところが職工がストライキを起こして未だに纏まりがつかない。そこへ明治天皇の御崩御があって、職工達も御遠慮申して仕事してはいるがいつどうなるか分らない。で、今のうちにどうにかしてしまうつもりで、「吾々が」「日本一の実業家の」天野栄介氏を内密でお招きしたのである。
「そういうわけだから、その辺をよく
前へ 次へ
全181ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング