ぼうかしら、ね、富ちゃん」
それはよい思案と言わなければなるまい。彼女等は各自に自分達のなじみを招びよせた。招ばれた男達は無銭で遊べることを「光栄」と考えてやって来た。そして、時にはこっそり裏座敷で目立たない遊興をして行った。目立たない、こっそり隠れた遊興の面白さが人々に知られると、暫くの間に、廓の家々では、歌舞音曲の響こそしないが、平常のように客は出入するようになってしまったのである。
「あれえ、およしなさいよ、ほんとうにおよしなさいよ!」
と奥座敷で菊龍のあげる誇張した嬌声を、「菊ちゃん、あんまり声が大きすぎますよ」とお幸が戒《いま》しめる。人々はいつしか、あの一とき感じた死の厳粛さを忘却してしまったのである。形式だけの哀しみの表現がようやく盛んになりかけているときにおいて――このように、天子の崩御は春風楼にとってよい結果をもたらしたわけであるが、またこの一事実が冬子やお光母子の運命に波のうねりのように重大な関係をもたらしたのである。
八月中頃のある夜、いつものように春風楼の茶の間には電燈の輝く下に粧った女達が集まっていた。夏の夜風が明けはなした窓からそよ/\と流れ入る。
「じゃ、いってまいります」と先刻から姿見に帯の格好を直していた時子と菊龍と富江が、こう珍しくそこに坐っている冬子とお幸に言って外座敷に出て行ったあと、部屋はひっそりした。お幸は今宵も美しかった。彼女の小さな引き緊まった肉体が生み出す魅力と巧妙な化粧のあでやかさは、薄化粧をした地味好みの、美しいよりは綺麗な品のいい冬子よりは数段秀れて感じられるが、しかし二人が対《むか》い合っているときお幸は圧迫を感じていた。冬子の端然とした、色艶の目立たない寂びた美しさが彼女を圧して来るように感じられる。お幸は冬子と話することを避けた。
「市子ちゃん、米子ちゃん、店にいるの。こっちへ来てお習《さら》いをしないこと?」
「はあい」と燃ゆる緋のだらりの帯に、きら/\光る花簪が自分ながら素晴らしくてならない、米子と市子が出て来た。「わたし?」と市子は眼をいっぱいに輝かして「何?」と首をかしげた。それは可愛らしかった。お幸は有望な「芸妓」の未来を見、冬子は惜しい気のする「物寂しさ」を見出した。
「奴さんにして頂戴な、お幸姐さん」
「奴さん? よく/\奴さんが好きだと見えるのね。さ、いいかい――」
お幸の低い唄につ
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