どれほど止めようとも、止められれば止められるだけ弱い心の持主であるために、「死」を目前にゆらめかしつつ、とぼ/\と二階の暗にのぼってゆかねばならなかったのである。それからどういうことが起きたかはしるすに忍びない。

 午前四時の薄明け、春風楼の店の間には、お幸も時子も菊龍も富江も泥のようにむさ苦しい深い眠りに沈み入っていた。冬子も二人の少女も寝入っていた。肉身を虐げつくし、精力を絞りつくした疲労が彼女等を死んだようにさせていた。しかし、まだ疲れはてた末、眠られ得る彼女等は幸福と言わねばならなかった。眠ろうとして眠り得ない者の苦痛、火焔にあぶられるような責苦をどうしよう。茂子は眠られなかった。強健な体質でない彼女は一升近い酒を呷《あお》った上、虐《しいた》げられて、外に溢れ出ようとするアルコールの異変が、狂した神経に収縮して身体じゅう五臓六腑に浸み入り凝結して、たとえようのない苦悩がそこから湧き立ち、のたうち廻っていた。白刃のように鋭い神経、身内に悶えるアルコールの狂い、口惜しい口惜しい、死んでも生きても消滅のしようのない口惜しい屈辱。彼女はその苦痛のうちに、ふと、何処からともなく起こる「ううむ、ううむ」という唸り声を聞いたように思った。しかし耳を澄ますと何も聞えなかった。すると又「ううむ、ううむ」と聞えた。ふと眼を横にやると、小妻のいるはずの床が空になっていた。彼女の全身が震撼した。茂子以上の茂子が全身にしみわたって来た。茂子はすっくと立った。そして巨人のようにのっしりのっしり歩いて、立ち止まって唸り声を聞き澄ましながら、のっしりのっしり、悠々と充実した歩みを続けた。唸りは廊下の方から聞えた。夏であるので、中庭には雨戸がいれてなかった。薄明りを受けた廊下の中央に何かがうずくまって「ううむ、ううむ」とうなっていた。茂子は歩みよった。(小妻か)と彼女は思った。そして茂子は肩に手をかけて起こしにかかった。ああ、その時、小妻の苦しみ悶えた恐ろしい死相がじろり茂子をみた。「ううむ!」歯が渾身の力でくいしばられている。全身がじわ/\湧く油のような汗でねち/\濡れている。細い青白い腕が最後の力をこめてわな/\と慄える。そして空間ににゅっ[#「にゅっ」に傍点]と片手を白くさしあげてがっくりもとのままに倒れてしまった。茂子は立っていた。すると足の裏がぬる/\と異様な温か味が感じられた
前へ 次へ
全181ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング