い髪の毛を省作の湯ぼてりの顔へふれる。省作も今は少し気が落ちついている。女の髪の毛が顔へふれた時むらむらとおとよさんがいじらしくなった。おとよさんは柿を省作の袂《たもと》へ入れ、その手で省作の手をとった。こんな場合を初めて経験する省作はそのおとよさんの手をとり返しもせず、とられたままにおどおどしていた。とられた手に一層力がはいったと思うと、おとよさんはそのまま手を引き、燕《つばめ》のように身をひるがえして戸の内へ消えてしまった。省作はしばらくただ夢心地であったが、はっと心づいて見ると、一時《いっとき》もここにいるのが恐ろしく感じて早々《そうそう》家に帰った。省作はこの夜どうしても眠れない。いろいろさまざまの妄想が、狭い胸の中で、もやくやもやくや煮えくり返る。暖かい夢を柔らかなふわふわした白絹につつんだように何ともいえない心地がするかと思うと、すぐあとから罪深い恐ろしい、いやでたまらない苦悶《くもん》が起こってくる。どう考えたっておとよさんは人の妻だ、ぬしある人だ、人の妻を思うとは何事だ、ばかめ破廉恥《はれんち》め、そんな事ができるか、ああいやだ、けれどおとよさんはどこまでも悪い人ではな
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