めたい井戸水に顔を洗って、省作もようやく生気づいた。いくらかからだがしっかりしてきはきたが、まだ痛いことは痛い。起きないうちはわからなかったが、起きて歩いて見ると股根《ももね》が非常に痛む。とても直立しては歩けない。省作はようやくのことよちよち腰をまげつつ歩いて井戸ばたへ出たくらいだ。下女のおはまがそっと横目に見てくすっと笑ってる。
「このあまっこめ、早く飯をくわせる工夫でもしろ……」
「稲刈りにもまれて、からだが痛いからって、わしおこったってしようがないや、ハハハハハハ」
「ばかア手前《てめえ》に用はねい……」
 省作はこれで今日は稲が刈れるかしらと思うほど、五体がみしみしするけれど、下女にまで笑われるくらいだから、母にこそ口説いたものの、ほかのものには決して痛いなどと言わない。
 省作は今年十九だ。年の割合には気は若いけれど、からだはもう人並み以上である。弱音を吹いて見たところで、いたずらに嘲笑《ちょうしょう》を買うまでで、だれあって一人同情をよせるものもない。だれだってそうだといわれて見るとこれきりの話だ。
 省作も今は、なあにという気になった。今日の稲刈りで、よし田ん中へ這《は
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