そろえて働けば互いに心持ちよく、いわゆる一家の和合からわき起こる一種の愉快もまたはなはだ趣味の深いものである。
 省作が片肌脱いで勢いよく鎌をとぎ始めれば、兄夫婦の顔にもはやむずかしいところは少しもなくなって、快活な話が出てくる。母までが端近《はしぢか》に出て来てみんなの話にばつを合わせる。省作がよく働きさえすれば母は家のものに肩身が広くいつでも愉快なのだ。慈愛の親に孝をするはわけのないものである。
「今日明日《きょうあす》とみっちり刈れば明後日《あさって》は早じまいの刈り上げになる。刈り上げの祝いは何がよかろ、省作お前は無論餅だなア」
 そういうのは兄だ。省作はにこり笑ったまま何とも言わぬうち、
「餅よりは鮓《すし》にするさ。こないだ餅を一度やったもの、今度は鮓でなけりゃ。なア省作お前も鮓仲間になってよ」
「わたしはどっちでも……」
「省作お前そんなこと言っちゃいけない。兄さんと満蔵はいつでも餅ときまってるから、お前は鮓になってもらわんけりゃ困る。わたしとおはまが鮓で餅の方も二人だから、省作が鮓となればこっちが三人で多勢だから鮓ときまるから……」
 省作は相変わらず笑って、右とも左と
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