おとよさんももちろん人をばかにするなどの悪気があってした事ではないけれど、つまりおとよさんがみんなの気合いにかまわず、自分一人の秘密にばかり屈託していたから、みんなとの統一を得られなかったのだ。いつでも非常なよい声で唄をうたって、随所の一団に中心となるおとよさんが今日はどうしたか、ろくろく唄もうたわなかったからして、みんなの統一を欠いたわけだ。清さんや清さんのお袋は、またどうしたかごきげんが悪いや、珍しくもない、というくらいな心で気にかけない。この稲刈りにはおとよさんがいなかったらかえってほかの者らには統一ができたのだ。そういうおとよさんははなはだ身勝手な女のように聞こえるけれど、人を統一する力あるものはまたその統一を破るようなことを必ずするものだ。
おとよさんの秘密に少しも気づかない省作は、今日は自分で自分がわからず、ただ自分は木偶《でく》の坊《ぼう》のように、おとよさんに引き回されて日が暮れたような心持ちがした。
三
今日は刈り上げになる日であったのだが、朝から非常な雨だ。野の仕事は無論できない。丹精一心の兄夫婦も、今朝《けさ》はいくらかゆっくりしたらしく、雨戸のあけかたが常のようには荒くない。省作も母が来て起こすまでは寝かせて置かれた。省作が目をさました時は、満蔵であろう、土間で米を搗《つ》く響きがずーんずーと調子よく響いていた。雨で家にいるとせば、繩でもなうくらいだから、省作は腹の中ではよいあんばいだわいと思いながら元気よく起きた。
省作は今日休ませてもらいたいのだけれど、この取り入れ最中に休んでどうすると来るが恐ろしいのと、省作がよく働いてくれれば、わたしは家にいて御飯がうまいとの母の気づかいを思うと休みたくもなくなる。
「兄さん今日は何をしますか」
「うん仕方がない、繩でもなえ」
「兄さんは何をしますか、繩をなうならいっしょに藁《わら》を湿《しめ》しましょう」
「うんおれは俵を編む、はま公にも繩をなわせろ」
省作は自分の分とはま公の分と、十|把《ぱ》ばかり藁を湿して朝飯前にそれを打つ。おはまは例の苦のない声で小唄をうたいながら台所の洗い物をしている。姉はこんな日でなくては家の掃除も充分にできないといって、がたひち音をさせ、家のすみずみをぐるぐる雑巾《ぞうきん》がけをする。丹精な人は掃除にまで力を入れるのだ。
朝飯が済む。満蔵は米搗
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