隣の嫁
伊藤左千夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)満蔵《まんぞう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)今|藪鶯《やぶうぐいす》

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(例)[#地から1字上げ]
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     一

「満蔵《まんぞう》満蔵、省作《しょうさく》省作、そとはまっぴかりだよ。さあさあ起きるだ起きるだ。向こうや隣でや、もう一仕事したころだわ。こん天気のえいのん朝寝していてどうするだい。省作省作、さあさあ」
 表座敷の雨戸をがらがらあけながら、例のむずかしやの姉がどなるのである。省作は眠そうな目をむしゃくしゃさせながら、ひょこと頭を上げたがまたぐたり枕へつけてしまった。目はさめていると姉に思わせるために、頭を枕につけていながらも、口のうちでぐどぐどいうている。
 下部屋《しもべや》の戸ががらり勢いよくあく音がして、まもなく庭場の雨戸ががらがら二、三枚ずつ一度に押しあける音がする。正直な満蔵は姉にどなられて、いつものように帯締めるまもなく半裸で雨戸を繰るのであろう。
「おっかさんお早うございます。思いのほかな天気になりました」
 満蔵の声だ。
「満蔵、今日は朝のうちに籾《もみ》を干すんだからな、すぐ庭を掃《は》いてくれろ」
 姉はもう仕事を言いつけている。満蔵はまだ顔も洗わず着物も着まいに、あれだから人からよく言われないだなどと省作は考えている。この場合に臨んではもう五分間と起きるを延ばすわけにゆかぬ。省作もそろそろ起きねばならんでなお夜具の中でもさくさしている。すぐ起きる了簡《りょうけん》ではあるが、なかなかすぐとは起きられない。肩が痛む腰が痛む、手の節足の節共にきやきやして痛い。どうもえらいくたぶれようだ。なあに起きりゃなおると、省作は自分で自分をしかるようにひとり言《ごと》いって、大いに奮発して起きようとするが起きられない。またしばらく額を枕へ当てたまま打つ伏せになってもがいている。
 全く省作は非常にくたぶれているのだ。昨日《きのう》の稲刈りでは、女たちにまでいじめられて、さんざん苦しんだためからだのきかなくなるほどくたぶれてしまった。
「百姓はやアだなあ……。ああばかばかしい、腰が痛くて起きられやしない。あアあア」
 省作はなお起きかねて家の者らの気はいに耳を澄ましている。
 満蔵
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