皆立つて手にする事がなくうろ/\してる。妻は叫ぶ、坂部さんが居なければ木下さんへ往けつてこかねい、坂部さんはどうしたんだらうねい。坂部さんへ又見にゆきましたといふものがあつた。妻は上げた時直ぐに奈アちやんやつて呼んだら、どうも返辭をしたやうであつたがねい、返辭ではなかつたのか知ら………。なんだつて浮いてゐたのを見つけたんだもの、よもや池とは思はないから、一番あとで池を見たら浮いてゐたんですもの、と云ふ。
 それでも息を吹返すこともやと思ひながら、浮いて居つたといふ事は、落ちてから時間のあることを意味するから、妻は屡それを氣にする。
『坂部さんが、坂部さんが、
といふ聲は、家中に息を殺させた。それで醫者ならば生返らせる事が出來るかとの一縷の望をかけて、一齊に醫者に思ひをあつめた。自分は其時までも、肌に抱締め暖めてゐた子供を、始めて蒲團の上へ放した。冷然たる醫師は、一二語簡單な挨拶をしながら診察にかゝつた。併し診察は無造作であつた、聽診器を三四ヶ所胸にあてがつて見た後、瞳を見、眼瞼を見、それから形許りに人工呼吸を試み、注射をした、肛門を見て、死後三十分位を經過して居ると云ふ。この一語は診察
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