暗い。妻は臺所の土間に藁火を焚いて、裸體の死兒を温ためようとしてゐる。入口には二三人近所の人もゐたやうなれど誰だか別らぬ。民子、秋子、雪子等の泣聲は耳に入つた。妻は自分を見るや泣聲を絞つて、何だつてもう浮いてゐたんですもの、どうしてえいやら判らないけれど、隣の人が藁火で暖めなければつて云ふもんですから、これで生き返へるでせうか………………。自分は直に奈々子を引取つた。引取ながらも醫者は何と云つた、坂部は居たかと云へば、坂部は家に居つて直ぐくると云ひましたと返辭したのは誰だか判らなかつた。
 水に濡れた紙の如く、とんと手ごたへがなく、頸も手も腰にも足にも、いさゝかだも力といふものはない。父は冷えた吾が子を素肌に押し當て、聞き覺えの覺束なき人工呼吸を必死と試みた。少しも驗はない。見込のあるものやら無いものやら、只わく/\するのみである。かういふ内醫者はどうして來ないかと叫ぶ。仰向けに寢かして心臟音を聞いても見た。素人ながらも、何等生ある音を聞き得ない。水は吐いたかと聞けば、吐かないといふ、併し腹に水のある樣子もない。どうする詮も知らずに着物を暖めてはあてがひ、暖めてはあてがつてるのみ、家中
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