其外亡き人の物らしいもの何一つ見當らない。茲に浮いて居たと云ふあたりは、水草の藻が少しく亂れて居る許り、只一つ動かぬ靜かな濁水を提灯の明りに見れば、只曇つて鈍い水の光り、何の罪を犯した色とも思へない。茲からと思はれたあたりに、足跡でもあるかと見たが、下駄の跡も素足の跡も見當らない。下駄のない處を見ると素足で來たに違ひない。どうして素足で茲へ來たか、平生用心深い兒で、縁側から一度落ちたことも無かつたのだから、池の水が少し下つて低かつたら、落込むやうな事も無かつたらうにと悔まれる。梅子も民子も只見廻しては綴泣きする。沈默した三人は暫く恨めしき池を見やつて立つてた。空は曇つて風も無い。奧の間でお通夜してくれる人達の話聲が細々と漏れる。
『いつまで見て居ても同じだから、もう上がらうよ。
と云つて先に立つと、提灯を動かした拍子に軒下に或物を認めた。自分は直ぐそれと氣づいて見ると、果して亡き人の着てゐた着物であつた。ぐつしやり一まとめに土塊のやうに置いてあつた。
『これが奈々ちやんの着物だね。
『あア。
二人は力ない聲で答へた。絣の單物に、メレンスの赤縞の西洋前掛である。自分はこれを見て、又強く
前へ
次へ
全20ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング