の着物を除け、再び我兒の胸に耳をひつつけて心臟音を聞いて見た。
何程念を入れて聞いても、絶對の靜かさは、到底永久の眠りである。再び動くといふことなき永久の靜かさは、實に冷刻の極みである。
永久なる眠も冷刻なる靜かさも、猶此儘我が目に留め置くことが出來るならば、千重の嘆きに幾分の慰藉はある譯なれど、殘酷にして淺薄な人間は、それ等の希望に何の工風を費さない。
どんなに深く愛する人でも、どんなに重く敬する人でも、一度心臟音の停止を聞くや、猶幾時間も立たない内から、埋葬の協議にかゝる。自分より遠けて、自分の目より離さんと工風するのが人間の心である。哲學がそれを謳歌し、宗教がそれを讚美し、人間の事はそれで遺憾のないやうに説いてゐる。
自分は今つく/″\と我が子の死顏を眺め、さうして三日の後此の子がどうなるかと思うて、眞に我心の薄弱が情なくなつた。我生活の虚僞殘酷に呆れて終つた。近隣親族の徒が、此美しい寢顏の前で埋葬を議することを、痛く不快に感じた。自分もつまりはそれに從ふの外ないのであつて見れば、自分も矢張り世間一流の人間に相違ないのだ。自分はかう考へて、浮ぶことの出來ない、到底出づるこ
前へ
次へ
全20ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング