に來てくれた。平生愛想笑ひをする癖が、弔み詞の間に出るのを強ひて噛殺すのが苦しさうであつた。近所の者の此際の無駄話は實に厭であつた。寄つてくれた人達は當然の事として、診斷書の事、死亡屆の事、埋葬證の事、寺の事など忠實に話してくれる。自分はしやう事なしに、宜しく頼むと云ては居るものゝ、只管眠つてるやうに、花の如く美しく寢て居る此兒の前で、葬式の話をするのは情なくて堪らなかつた。投出してる我が兒の足に自分の手を添へ、其足を我が顏へひしと押當てゝ横顏に伏してゐる妻は、埋葬の話を聞いてるか聞いてゐないか、只悲しげに力なげに、身を我兒の床に横へて居る。手にする事がなくなつて、父も母も心の思ひは愈※[#二の字点、面区点番号1−2−22、43−16]亂れるのである。
 我が子の寢顏につく/″\見入つて居ると、自分はどうしても此兒が呼吸してるやうに思はれてならない。胸に覆うてある單物の或點がいくらか動いて居つて、それが呼吸の爲めに動くやうに思はれてならぬ。親戚の妻女が二つになる子供をつれてきて、そこに寢せてあれば、其兒の呼吸の音が、どうかすると我が兒のそれのやうに聞える。自分は堪へられなくなつて、覆ひ
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