今まではお互いに自分で自分をもてあつかっていたんだもの、それを今は自分の事は考えないで、何が面白いの、かにが面白いのって、世間の物を面白がってるんだもの。あ、宿であかしが点《つ》いた、おとよさん急ごう」
 恋は到底|痴《おろか》なもの、少しささえられると、すぐ死にたき思いになる、少し満足すればすぐ総てを忘れる。思慮のある見識のある人でも一度恋に陥れば、痴態を免れ得ない。この夜二人はただ嬉《うれ》しくて面白くて、将来の話などしないで寝てしまった。翌朝お千代が来た時までに、とにかく省作がまず一人で東京へ出ることとこの月半《つきなか》に出立《しゅったつ》するという事だけきめた。おとよは省作を一人でやるか、自分も一緒に行くかということについて、早くから考えていたが、つまり二人で一緒に出ることは穏やかでないと思いさだめたのである。

      十二

 はずれの旦那《だんな》という人は、おとよの母の従弟《いとこ》であって薊《あざみ》という人だ。世話好きで話のうまいところから、よく人の仲裁などをやる。背の低い顔の丸い中太《ちゅうぷと》りの快活で物の解《わか》った人といわれてる。それで斎藤の一条以
前へ 次へ
全87ページ中73ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング