を済福寺とかいう。神々《こうごう》しい松杉の古樹、森高く立ちこめて、堂塔を掩《おお》うて尊い。
桑を摘んでか茶を摘んでか、笊《ざる》を抱《かか》えた男女三、四人、一隅《いちぐう》の森から現われて済福寺の前へ降りてくる。
お千代は北の幸谷《こうや》なる里方へ帰り、省作とおとよは湖畔の一|旅亭《りょてい》に投宿したのである。
首を振ることもできないように、身にさし迫った苦しき問題に悩みつつあった二人が、その悩みを忘れてここに一夕の緩和を得た。嵐《あらし》を免れて港に入りし船のごとく、激《たぎ》つ早瀬の水が、僅《わず》かなる岩間の淀《よど》みに、余裕を示すがごとく、二人はここに一夕の余裕を得た。
余裕をもって満たされたる人は、想《おも》うにかえって余裕の趣味を解せぬのであろう。余裕なき境遇にある人が、僅かに余裕を発見した時に、初めて余裕の趣味を適切に感ずることができる。
一風呂《ひとふろ》の浴《ゆあ》みに二人は今日の疲れをいやし、二階の表に立って、別天地の幽邃《ゆうすい》に対した、温良な青年清秀な佳人、今は決してあわれなかわいそうな二人ではない。
人は身に余裕を覚ゆる時、考えは必
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